大阪城天守閣学芸員、跡部信さんの本「豊臣秀吉と大坂城」

豊臣と徳川が戦った大坂冬の陣から400年。NHKでは大河ドラマ「黒田官兵衛」を放映中だ。ドラマで豊臣秀吉を演じる竹中直人はまさにハマリ役。主君・信長に滅私奉公し、情が深く、知恵があって、行動力が図抜けている。同時に、貧しい出であり、女好きであり、そこが人間味あふれて、憎めない。弱さをさらけ出すことで、破格の出世を遂げたのではないかと思わせる。

 実際の秀吉はどうであったのだろう。

この夏出版された「豊臣秀吉と大坂城」(吉川弘文館)は大阪城天守閣学芸員の跡部信(あとべ まこと)さんが、当時の史料を研究者の目で洗い直し、一般の私たちでも読みやすいようにまとめた一冊だ。

著者の跡部信(あとべ まこと)さん
著者の跡部信(あとべ まこと)さん
2014年8月1日発行
2014年8月1日発行


本書は3章から構成されている。第1章 秀吉の履歴書ー人と生涯 第2章 豊臣大坂城の光芒 第3章 秀吉の大坂城をあるく(目次の画像をクリックすると拡大します)

 

当時の外国人が見た秀吉、正反対の評価

本書はのっけから心をわしづかみにする。秀吉をよく知る外国人ふたりが秀吉を語っている。そのひとり、イエズス会宣教師ルイス・フロイスは悪口が止まらない…秀吉を徹底的にこきおろす。秀吉って、それほどまでにぶさいくで、ひどい奴だったの!

 一方、スペインの旅行家アビラ・ヒロンは秀吉びいき。努力家、天才、奇跡と褒めちぎる。同じ人物の評価とは到底思えない。まぁ、底辺からてっぺんへと出世を遂げた人物だけに毀誉褒貶が激しいのも無理ないか。

 秀吉の異常な出世について当時の人たちはどう感じていたのか。また、秀吉は天皇の権威についてどうとらえ、どのような神仏観をもっていたのか。こうした課題を、跡部さんはさまざま史料を引いて、解説する。興味深い史料が次々繰り出されてくるのも本書の魅力のひとつだ。

 

秀吉は稀代のパフォーマー

 出世の裏事情を語るエピソードもまたおもしろい。信長は、下僕を高価な買い物に行かせる際、値段がちょっとでも合わなければ、買わずに戻らせた。ところが秀吉に行かせると、常にいいものを安く買ってくるので、信長は不思議がったというのだ。

これは実は、秀吉が自分の持ち金を足して、買い物をしていたというウラがあった。さすが、目端がきくと感心するか、インチキ!と見下すか…。確かに、頭角を現すには、これぐらいしなくっちゃね。

自分自身を「乞食であった」と言い切り、それを逆手にとって、敵方の交渉相手の信頼を得たり、また、降参してきた敵将を大きなフトコロで許したり、秀吉は主君信長にはなかった、度量の広さを見せつけた

関白となってからも、大坂城内を案内するときは自らがひとつひとつ説明して、ベッドを置いた自分の寝所まで見せたそうだ。さらに、天守閣の最上階からの眺めに感激している客人の肩に自分の手を置き、「かたじけない次第」とさらに感激させたという。すごいパフォーマンス! 秀吉っていう人は、相手の心にぐっと入りこんでいく術を天性に備えていたんだ。

その一方で、残酷極まりない仕打ちも行っている。自分の子ども秀頼が生まれると、甥の秀次を切腹に追いやり、罪のない秀次の妻妾(さいしょう)子女を虐殺したり。

本書の第1章“秀吉の履歴書(人と生涯)”では、史実に基づき、秀吉の人となりに肉薄している。

 

皇居を大坂に、天皇を中華皇帝に、発想も型破り

さて、秀吉といえば、大坂城。主君の安土城を越えた城にするため、死ぬ間際まで大坂城に手をいれている。跡部さんによれば、秀吉は、皇居を京都から大坂へと移す、“大坂遷都”を企てていたというのだ。そんなこと、できっこないだろうとハナから思うのは我々凡人。秀吉は、突拍子もないことを考えつき、とにかくやってみようという稀代のチャレンジャー。

大坂遷都については、それが無理とわかるや、大坂城は迎賓館その他の用途に使われた。前代未聞の高層建築。天守閣の各階は金の間、銀の間、宝物の間など、財宝があふれんばかりに散りばめられ、「あれを見てもこれを見ても驚くばかり」のお城であったと。

豊臣政権は大坂城を中心にしていたと思われているが、実は首都の城である聚楽第や伏見城のほうが、政権の中心地だった。それにもかかわらず、大坂の陣のころにはすでに、秀吉の本拠=大坂城という誤解が生まれていたという。商都として大坂があまりに繁栄したため、さらに、秀吉亡きあと、豊臣家の後継者である秀頼が「日本最強」と評された大坂城にいたため、大坂城に注目が集まったからだろう。

 

秀吉の朝鮮出兵の記述にも驚かされる。三国国割(さんごくくにわり)計画。甥の秀次を「大唐(中国)関白」に。後陽成天皇を首都北京に移し、アジアに君臨する中華皇帝に。朝鮮は秀勝(秀次の実弟)に、国内の「日本帝位」には皇子の良仁親王か皇弟の智仁親王を、「日本関白」は秀保(秀次実弟)か宇喜多秀家(秀吉養子)を置く。秀吉自身はしばらく北京に滞在し、のちに交通の要所、中国・寧波(ニンポー)に拠点を構え、妻おねを呼び寄せ、一緒に住むという広大な構想を抱いていたというのだ。

なんとスケールの大きな計画か。結局は、うたかたの夢で終わるのだけれど。

しかしそのような計画のなかでも、秀吉にとって、常に天皇が頂点、身分序列の最高位にある。彼ほどの破天荒な人物がなぜ天皇を上回る存在をめざさなかったのかが不思議。死んでから「豊国大明神」となり神号を得るが、それもまた天皇から授けられたものである。

本書によれば、衰退した天皇の「威光を昔日のものに立て直したいという態度をみせようとすること」は、「全民衆の信望をかち得るとともに」、「より大きな名声と大きな栄誉をほしいままにする」効果をもちえた。秀吉は天皇を頂点にいただく身分秩序の、絶大な権威に依存し、それをバックに国内統一を遂げたのである。秀吉はその権威に生涯とらわれ続けて終わる。

 

玉造にある越中井(えっちゅういど)
玉造にある越中井(えっちゅういど)

大坂城に象がいた! これホント!

書名どおり、本書の柱は秀吉と大坂城。跡部さんは大阪城天守閣学芸員として20年大阪城に勤務する。第3章の「秀吉の大坂城を歩く」には、興味深い内容がいくつも。

大坂の陣のあと、秀吉の大坂城は埋め殺しにされ、盛り土の上に徳川が大坂城を再建した。それが明らかになったのは昭和30年台半ば。地下10メートルの深さのところに謎の石垣が発見された。偶然の発見が奇跡的発見につながっていく経緯が詳しく書かれている。

 ほかにも、江戸時代「黄金水」とよばれていた城内の“金明水井戸”の伝説と学術調査の結果や、また、秀頼と淀殿の自刃地となった山里丸とはどういう場所であったのかなど。

えっと驚かされたのは大坂城で象を飼っていたという事実。家康がコーチ(ベトナム北部)から贈られたものを秀頼に進呈し、大坂城内で飼われることになった。京橋口馬出曲輪は多くの絵図に「サウノ丸」「惣ノ丸」と書かれているが、「象ノ丸」と書いた史料もある。跡部さんはここで飼っていたとにらんでいる。

 本書ラストを飾るのは、玉造にある「越中井」。夫(細川忠興)は留守居の家臣に「自分の不在中に妻の名誉に危険が生じたら、まず妻を殺し、全員切腹して、わが妻とともに死ぬように」と言い残し、東国に出征した。人質になることを拒否してガラシャが果てた時点で敵勢はとうに細川邸から退去しており、屋敷を囲んでいたのは野次馬だった。彼女は死にどきを誤ったのではないかと。しかし、その死は東軍の勝利に貢献し、忠興の領知は倍増する。ガラシャ昇天のさい炎上した細川邸は夏の陣落城時まで「焼け屋敷」のまま残されていたそうだ。

 

歴史小説やドラマの主人公にたびたび取りあげられる秀吉だが、作家や脚本家の創造の世界が真実だと思われていることも多い。跡部さんの「豊臣秀吉と大坂城」は歴史学者の視点で、なぜ誤解が生じたのか、実際の秀吉の考えや行動はどうであったかに迫る。歴史好きな方におすすめの一冊だ。

 


 

著者の跡部信さんに聞く

秀吉についてはたくさん書かれていますが、自身のカラーをどういうふうに出していこうと思われましたか。 

 時代の子であると同時に、時代を突き抜けた感性をもっていた秀吉の、息づかいを感じてもらえるような評伝を書きたいと思いました。その特異な人格に密着しつつも、安易な倫理的評価をくだすことなく、強烈な個性を確かな史料にもとづいて生々しく描きたい、というのが目標でした。「若いころは良かったが年をとってダメになった」とか、「いや、じつは若いころからひどかった」といった評価からは離れて、人間としての秀吉に迫りました。

 

これから読む人へのメッセージとして、この本にこめられた気持ちをお教えください。

 (とくに大阪の人に)大阪城が日本一ドラマチックな城で、城内のここかしこに秀吉をめぐる人々にゆかりの戦国史の痕跡が残っていることをあらためて思い起こしていただきたい。

 

この本の一番の読ませどころ、力を入れて書いたところはどこでしょうか。

 秀吉と家康の関係とか、文禄・慶長の役に対する秀吉の態度、淀殿と高台院との交流、秀吉没後の豊臣家と徳川家の地位など、通説や一般のイメージとはかなり違う政治史を提示しています。

 秀吉は明国を征服しようとしつつも中国大陸を上等とみる中華思想をもっていた、思うがまま天皇を北京に移そうとしつつも天皇が最高位と思っていた、その結果として前代未聞の「三国国割計画」が構想された、というからくりが自分では面白いと思っています。

 

朝日新聞86日夕刊に掲載された本書の紹介記事

朝日新聞2014年8月6日夕刊 .pdf
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人をあるくシリーズ「豊臣秀吉と大坂城」吉川弘文館

201481日発行

跡部信(あとべまこと)

定価2,000円(税別)

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玉造イチバンの管理人です。私は玉造で生まれ育ち、今も玉造に住んでいます。たくさんの方に玉造を知ってもらいたく、2013年2月にこのサイトを立ち上げました。玉造を盛り上げる情報を発信していきたいと思っています。