明智憲三郎さん、森の宮遺跡「謎の銅鏡」に挑む

 明智憲三郎さんを引き寄せた「謎の鏡」

 菊・桐・桔梗、なぜ桔梗があるのか?

森ノ宮では今、大工事が行われている。日生球場跡地に来春、大型商業施設「もりのみやキューズモールBASE」が開業、その建設真っ最中だ。

工事現場の東側に森ノ宮ピロティホールがある。その一角に設けられた小さな部屋が森の宮遺跡展示室だ。部屋は小さいが遺跡の価値はかなりのもの。森の宮遺跡は、縄文時代から江戸時代初めまでの地層が連続する、全国有数の複合遺跡なのである。

 

「もりのみやキューズモールBASE」建設中
「もりのみやキューズモールBASE」建設中
「森の宮遺跡展示室」入口
「森の宮遺跡展示室」入口

5000年前、この場所に縄文人が住んでいた。一番下の地層からは、縄文人が食べたものや身につけもの、さらに屈葬人骨が発掘されている。

一方、地層の一番上からは江戸時代初期の、皿や陶磁器・瓦・硯・木製品などの破片と、銅鏡が完全な形のまま見つかっている。

鏡は直径7.3センチの円鏡。裏には、「天下一」の文字が陽刻され、「菊」「桐」「桔梗」のレリーフが円のまわりに散らされている。

2013年夏、私は森の宮遺跡展示室でこの鏡を初めて見た。そのときに説明してくれたのが大阪市教育委員会文化財保護担当の学芸員、櫻井久之さんであった。

「菊は天皇家の紋、桐は豊臣家。では、桔梗はだれの紋でしょうか。そう、明智家です。豊臣秀吉は関白の位を天皇家からもらっています。菊と桐の関係はわかりますが、なぜ桔梗がここにあるのでしょう…。まことにもって『謎の銅鏡』です」

 本能寺の変のあと、明智光秀は豊臣秀吉と戦って敗れ、逃走中に刺殺されたといわれている。すなわち、桐と桔梗は敵対関係の間柄、それがまたなぜ…。ほんとうに不思議!と、そのときは思ったものの、いつの間にか忘れていた。


森の宮遺跡展示室の「銅鏡」

右)明智憲三郎さん


 

記憶のフタが突然パカッと開いたのは、明智憲三郎さんの講演会を聞いたあとだ。

 明智光秀の末裔である明智憲三郎さんの著書「本能寺の変431年目の真実」がヒットを飛ばしているのを受けて、20145月、上町にある書店「隆祥舘」さんが明智さんのサイン会と講演会を行った。講演会の興奮が冷めやらず、友人と喫茶店で「信じられない!」「あり得る話!」と議論を交わしていたとき、頭に閃光が走り、「鏡」の記憶が飛び出してきた。

 そのとき頭に浮かんだのは「菊・葵・桔梗」であった。

「な、なんと、明智さんの証拠が見つかった!」と小躍りして、喜び勇んでメールをお送りしたら、すぐにお返事が来た。「ぜひその鏡を見たいと思います」と。

 しかし、まぁ、よくよく調べ直してみたら、なんたる勘違いか。「菊・桐・桔梗」の“桐”を、徳川の“葵”と間違うなんて、この頭どうなっているのやら。それでも、明智さんは「実物を見に行きます」と玉造に来てくださることとなった。

 2014101411時、櫻井さんの上司である植木久さんが、森の宮遺跡展示室で待ってくださっていた。

 

「謎の銅鏡」をご紹介しよう

”明智推理”のはじまりはじまり!

森の宮遺跡展示室「謎の銅鏡」 下から左回り「天下一」「菊」「桐」「桔梗」
森の宮遺跡展示室「謎の銅鏡」 下から左回り「天下一」「菊」「桐」「桔梗」
鏡のオモテ
鏡のオモテ
付近からは桐紋の金箔瓦も出土している
付近からは桐紋の金箔瓦も出土している


植木課長の説明に全員聞き入る
植木課長の説明に全員聞き入る
謎を解明中!
謎を解明中!

鏡を直接見ながら「この鏡の持ち主は…」
鏡を直接見ながら「この鏡の持ち主は…」

 

桐紋と桔梗紋、2つの紋を持つ女性がいた!

鏡の持ち主は、玉造で命果てた、あのヒロイン! 


 明智憲三郎です。

銅鏡の中央下部に「天下一」の文字が縦に書かれ、その右上には菊の紋があり、これは織田信長が定めた名匠の認定制度「天下一」に基づいて作られたものに間違いありません。

 櫻井様からいただいた資料『日本の美術』No42「和鏡」に掲載されている東京国立博物館所蔵の菊桐紋柄鏡(きくきりもんえかがみ)の柄を取った鏡部分の模様の構図が大変よく似ており、同じ作者の手になるものかもしれません。

鏡の上部には桐、左側には桔梗の模様があり、いずれも家紋とみられます。したがって、この鏡は桐紋の豊臣家と桔梗紋の土岐家につながる高貴な人物が京都の名匠に注文して作らせたものと考えられます。一緒に発掘されたものの中に金色の桐紋の屋根瓦があるので、豊臣家につながるかなり高名な人物の屋敷跡、もしくはその屋敷跡から運ばれた土の中に埋まっていたのでしょう。

さて、豊臣家と縁があり、かつ土岐家ともつながった人物が誰かいたでしょうか?

 実は、それが細川ガラシャです。細川ガラシャは明智光秀の娘ですから、桔梗紋は実家の紋(明智家も土岐家のひとつ)であることはどなたもがご存知のことと思います。では、豊臣家にはどのようなつながりがあったでしょうか。

豊臣秀吉は豊臣家の政権を安定させるために、これぞと思う大名たちに羽柴姓を与えていました。細川ガラシャの夫である忠興も秀吉に見込まれて天正十六年(1588)に羽柴姓を与えられて羽柴丹後少将と名乗りました。秀吉の死後も羽柴姓を名乗っていたとのことなので、少なくとも秀吉の没年の慶長三年(1598)までの10年間は忠興の正式な姓が羽柴だったのです。

 そうするとこの10年間の細川ガラシャの表紋は桐、裏紋は桔梗ということになります。この銅鏡が埋もれていた場所は越中井(えっちゅういど)からそれほど遠くありません。当時の細川忠興の屋敷の正確な位置はわかりませんが、大いに可能性のある話ではないでしょうか。

 銅鏡の表面は焼けているように見えますので、ガラシャの死の際に屋敷が焼け落ちて、この銅鏡も焼けて瓦礫に埋もれてしまった。そして、400年、誰かが掘り出して、その素性を調べてくれることを期待してじっと地中に息をひそめて待っていた。とすると、素晴らしい歴史ロマンですね。私の推理の裏付けがもっと固まれば、この地区のお宝がひとつ増えることになりますが…。 (寄稿)

 

明智推理、鏡の持ち主は細川ガラシャ!!

2013年夏「細川ガラシャ祈念ミサ」当日のガラシャ像

越中井の石碑にはガラシャ辞世の句が。

 


玉造に、新たな歴史ロマン誕生!

ガラシャか…、展示室で想像を

 

 明智さんの推理によれば、森の宮遺跡展示室の「謎の銅鏡」は細川ガラシャの持ち物ではないかと。

すごい歴史ロマンが現れた。玉造のヒロイン、ガラシャの鏡としたら、これは大ニュースだ。

鏡が出土した同じ場所から、女性用の下駄も見つかっている。全面を紫茶色の漆で仕上げ、後端を狭めたスマートなデザイン。「下駄」と「鏡」の持ち主はオシャレで、こだわりのあった女性に違いない。

しかし、森の宮遺跡のこの場所に、江戸時代初め、だれが住んでいたかはわかっていない。大坂城三の丸に位置するため、大名もしくはそれに近い身分の人が暮らしていたと思われるのだが、三の丸のどこに、だれの屋敷があったかは何も史料が残っていないのだ。

ガラシャの屋敷といわれている細川邸と森の宮遺跡展示室とは歩いて78分ほどの距離がある。ガラシャの鏡としたら、なぜここに? それともここが細川家の下屋敷であったとか? 残念だが、出土場所から持ち主を特定するのは難しい。

しかし今回、明智さんからヒントをもらった。それをもとに紐解いていけば、なにかわかってくるかもしれない。

 

実は昨年夏、「ガラシャ生誕450年祭 祈念ミサ」が玉造の聖マリア大聖堂で行われた。

ガラシャの壮絶な殉教死を目にしたイエズス会の宣教師らはその様子をヨーロッパに伝えた。それが感動を呼び、ガラシャをモデルにした音楽劇「勇敢な婦人」がつくられた。初演は1698年、ウィーン・ハプスブルク家の宮殿ホール内。信仰に生きた姿が絶賛され、幼いマリーアントワネットも学校で見たという。

時とともに音楽劇は忘れ去られていった。ところが、20年前、ウィーン国立図書館で当時の台本と原譜が発見された。それを、ソプラノ歌手である豊田喜代美さんが復元し、ガラシャ生誕450年祭で「ガラシャのアリア」を奉納された。美しい歌声を聞きながら、

“玉造からヨーロッパに渡り、そして再び玉造へと、ガラシャが帰って来た!”と、深い感動に包まれた。去年(2013825日のことであった。(2013年イベント8月25日参照)

そして今年、謎の鏡からガラシャが立ち現れたこれは単なる偶然か…。

明智推理によって、“謎”の中から“歴史ロマン”が浮かびあがった。

森の宮遺跡展示室で、鏡と向き合い、ぜひとも歴史ロマンにひたってほしい。

 

さて、東京国立博物館に、構図の似た鏡があることがわかった。今後は、たくさんの知恵を集め、謎を解いていければと思う。何か情報や手がかりがあれば、ぜひとも一報願いたい。

 

この本に、構図がそっくりな鏡(写真・右)が掲載されている。東京国立博物館所蔵の鏡は「天下一」「菊」「桐」「桐」。


(20141014

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玉造イチバンの管理人です。私は玉造で生まれ育ち、今も玉造に住んでいます。たくさんの方に玉造を知ってもらいたく、2013年2月にこのサイトを立ち上げました。玉造を盛り上げる情報を発信していきたいと思っています。