三光神社と真田幸村

最新情報 

●「真田丸」の信繁の衣装を着て写真を撮る、玉造オリジナル企画「真田丸なりきり撮影会」に三光神社の宮司・小田禮五郎さんも参加。とっておきの「なりきりポーズ」を披露くださった(ポスター右端)2016年4月10日


●NHK大河ドラマ「真田丸」決定のタイミングで、三光神社では「真田丸」の旗を新調した。宮司の小田禮五郎さんは「真」の字をどうしようかと迷ったそう。個人的には「眞」がぴったりくるということで「眞田丸」にしたと話す。境内で出会えるので、ぜひ!

(2015年7月1日)


●三光神社が大阪環状線改造プロジェクトのポスターに使われています。

知らない歴史を見つけよう

「大阪城につながるというヒミツの抜け穴見つけました。玉造駅/三光神社」



 

「三光神社のこの場所に真田丸はあった」

幸村ファンに朗報、11月に“抜け穴を開放”

宮司の小田禮五郎さん
宮司の小田禮五郎さん

JR玉造駅から西へ約10分、三光(さんこう)神社があります。西暦4世紀末、反正(はんぜい)天皇の時代に創建されたと伝えられる歴史ある神社です。真田幸村の銅像と〝真田の抜け穴〟で全国に名を馳せ、幸村ファンにとっては、あこがれの“聖地”。宮司の小田禮五郎(おだれいごろう)さんによれば、ここ2~3年前から幸村を目当てに訪ねて来る人が急増。日本各地はもとより、台湾・韓国・中国などアジアからも若い「歴女」がやって来るそうです。

 

 三光神社はその昔、姫山神社と称していました。この一帯は姫山と呼ばれ、高台にある社殿からは生駒・二上山・金剛山まで見渡せたとか。神社の由緒略歴によれば、「大阪城の出城のあった処で慶長元和の大阪合戦の頃真田幸村が此の地に偃月城と名付ける塁を定め本城よりここに至るまで地下に暗道を設けたと言い伝えられ今なおその痕跡を三光宮鎮座の階下にあり」(原文のまま)と記されています。

 

「大坂冬の陣のとき、ここに真田丸の出城があった」と宮司さんはきっぱりと言い切ります。この高台から徳川勢を見下ろしていたのだと。

 

銅像制作の難関、幸村の武者姿がない

 

本殿にあがる階段の左側に真田幸村の像と抜け穴が並んであります。幸村の銅像は昭和62年(1987)、大阪真田山ライオンズクラブ15周年の記念に建立されたもの。采配を打ち振るう陣中指揮姿の幸村は誠にりりしく、幸村といえば、三光神社のこの銅像が必ず登場するほど有名です。

しかし、制作に当たって一番頭を悩ませたのは、幸村の武者姿がどこを探してもなかったことだと言います。

小田さんによれば「イラストレーターの成瀬國晴さんに頼んで描いてもらうことになったん。大阪城にある『(大坂夏の陣図)屏風』を参考に描いてもらったのが、このイラスト。この絵をもとに北陸のほうの会社で銅像を造ってもらった」

成瀬さん描く幸村は切迫感伝わる険しい表情。一方、銅像の幸村は落ち着いた雰囲気です。

台座の石は、真田家の菩提寺・信州長野の長谷寺(ちょうこくじ)から取り出したものを、上田ライオンズクラブが厚意に依り遠路はるばる運んでくれたと、台座碑文に記されています。 

成瀬さんが描いたイラスト
成瀬さんが描いたイラスト

銅像のうしろにまわると…
銅像のうしろにまわると…
左)抜け穴と銅像 上)真田の抜け穴は普段は施錠されている
左)抜け穴と銅像 上)真田の抜け穴は普段は施錠されている

唯一残った「抜け穴」
唯一残った「抜け穴」

11月第1日曜が「真田まつり」

1年に1度の“抜け穴の開放日”  

 

 銅像の横にあるのが「真田の抜け穴」。大坂城から真田丸までつながる、地下に掘った連絡トンネルといわれています。

 かつて、三光神社以外にも、7つか8つ抜け穴があったようです。50年ほど前、地元玉造では、抜け穴が互いに地下でつながっていて、幸村は穴から穴へと顔を出し、茶臼山にいたと思えば真田山にと神出鬼没の活躍ぶりで、敵をかく乱したと言われていました。今では、こんな話、聞きませんが。

「千日前通に行く手前の産湯(うぶゆ)稲荷さんにも抜け穴があったらしい。道を作るのにとられてしもうて。結局残ったのはうちだけ」と小田さん。

 穴の前に立つと、さまざまな戦国ドラマがかきたてられます。

 

 三光神社の「抜け穴」は普段は鉄格子の扉で閉められていますが、1年に1度、「抜け穴開放」の日があります。3年前から三光神社が開催している「真田まつり」の日です。この日に限って、抜け穴を直接見ることができるとあって、全国から幸村ファンがつめかけます。

 

「ここは冬の陣やからね。11月に真田まつりを行い、戦勝祈願祭をしている。1回目2回目のときは大阪城甲冑隊が応援に駆けつけてくれて、大勢にぎわった。今年も11月第1日曜に『抜け穴開放』と、子どもらには甲冑の試着をしてもらおうと思う」

 

そしていよいよ来年は「大坂冬の陣400年」。「うちが(イベントを)せにゃならん。夏祭が終わったら、氏子さんらと相談やね」

宮司さんは御歳85歳。真田幸村の聖地としての自負と責任感がその小さな体からにじみでます。

 

勝たせてくれるお守り 

受験・スポーツを強力に援護

「大坂冬の陣」は勝ち戦。勝ち運をもたらすお守り
「大坂冬の陣」は勝ち戦。勝ち運をもたらすお守り

 710日夜10時から、NHK歴史秘話ヒストリア「発掘! 真田幸村の激闘~最新研究から探る大坂の陣~」が放映されました。

 5日後の15日祝日に三光神社に行くと、次々と参拝客が訪れていました。小学生の男の子2人を連れた家族4人福井県から今朝、出て来たと言う。「ずっとここへ来たいと思っていました。あの番組を見て、ついに来ました」と親ふたりが興奮気味です。

 一方、若い女性は携帯電話を宮司さんに見せながら「『この画像のお守りを買ってきて』と実家の父から頼まれたんです。(宮司さんからお守りの説明を聞いて)あー、勝守ですか…。父はバレーボールのコーチをしてるんですよ。それでこのお守りがほしかったんですね」と納得した表情。大事そうにお守りを持ち帰りました。

 

 「大坂冬の陣」では、大軍の徳川勢を相手に、真田幸村が奇跡の勝利を勝ち取りました。三光神社のお守りは勝守。幸村公が守ってくれる頼りがいのあるお守りです。

 

2013年7月15日取材)

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三光神社

大阪市天王寺区玉造本町14-90

Tel 06-6761-0372

JR玉造駅から徒歩約8分

地下鉄長堀鶴見緑地線玉造駅2番出口から徒歩3分


玉造の最寄駅

JR環状線「玉造駅」

大阪市天王寺区玉造元町1-40

地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造駅」

大阪市天王寺区玉造本町1-2

「真田丸」はここだ! 玉造地図

大阪歴史博物館が推定した真田丸跡をめぐりながらお店めぐりも。

愛用のカメラとICレコーダーです
愛用のカメラとICレコーダーです

玉造イチバンの管理人です。私は玉造で生まれ育ち、今も玉造に住んでいます。たくさんの方に玉造を知ってもらいたく、2013年2月にこのサイトを立ち上げました。玉造を盛り上げる情報を発信していきたいと思っています。