「真田丸はどこにあったか?」 地元を調査して歩く

真田丸はここだ! 大阪歴史博物館推定の真田丸

 NHK大河ドラマ特別展「真田丸」が大阪歴史博物館で9月17日~11月6日開催されました。

 その大阪歴史博物館が、数々の史料と現地調査によって「真田丸」の場所を推定しています。その地図を落とし込んだ玉造地図が完成。さらに片面は「真田丸満喫!スタンプラリー」の台紙になっています。

 地図はスタンプラリーに参加している玉造の各店舗や、大阪歴史博物館、三光神社などで手に入ります。ダウンロードする場合は以下のPDFから。詳細はこちら(2016年10月1日記述)

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大河ドラマでは「真田丸」の形は二重構造

 「真田丸」の形は諸説さまざま。大河ドラマ「真田丸」第44話「築城」では、幸村が広げた図面の「真田丸」は二重構造の形をしていた。これはNHK「歴史秘話ヒストリア」で放映した奈良大学学長、千田嘉博さんの説である。最後のクレジットにも千田さんの名前が出ていた。千田説の真田丸はこちら


真田幸村の合戦着を玉造で着て撮影できます

 NHK大河ドラマ「真田丸」で、真田幸村が着ていた衣装を大阪・玉造で着ることができます。玉造オリジナルプラン「真田丸なりきり撮影会」を12月30日(金)・1月14日(土)、玉造の写真スタジオで開催。詳しくはこちら


真田丸はどこにあったか

 一般的には大阪明星(めいせい)学園、もしくは、もう少し範囲を広げて、明星学園と、その東側にある心眼寺を含めた一帯にあったと言われている。  

 しかし、2013年7月10日に放映されたNHK歴史秘話ヒストリア「発掘!真田幸村の激闘~最新研究調査から探る大坂の陣~」の番組で、真田丸は従来考えられていたよりもはるかに大きく、「巨大」「ケタはずれ」の要塞であったと、新しい説が出された。  

 そこで、NHK歴史秘話ヒストリアと同じく「浅野文庫諸国古城之図」をベースに、真田丸の場所をさがしてみることにした。今回はまず、真田丸に入って行く道と、砦の東端をさぐった。  

 

真田丸は真田山の丘陵にあった

  仙台伊達藩の旧家から発見された「僊台武鑑」(せんだいぶかん)」大坂冬の陣図配陣図や、江戸時代後期の文書「金城聞見録(きんじょうぶんけんろく)」大坂城慶長年間之図には、惣構の外側に真田丸が描かれている。惣構の位置から考えると、天王寺区玉造本町・餌差(えさし)町あたりにあったことになる。

 

江戸時代、真田幸村・大助の菩提を弔うために心眼寺という寺が建てられた。「大坂三郷町絵図」では心眼寺の西側にある丘陵に「真田丸跡」と書かれている。古地図によっては、この丘陵を真田山と記しているものもある。今この丘陵には大阪明星学園が建っている。当時の絵図や史料から、真田丸は今の明星学園あたりにあったと考えられているのである。

 

渡辺武1981「豊臣時代大坂城の三の丸と惣構について」から「僊台武鑑」大坂冬の陣配置図。 右下に真田出丸が描かれている。
渡辺武1981「豊臣時代大坂城の三の丸と惣構について」から「僊台武鑑」大坂冬の陣配置図。 右下に真田出丸が描かれている。

19世紀の摂州大坂地図 心眼寺の西に真田山が
19世紀の摂州大坂地図 心眼寺の西に真田山が

新旧地図と首っぴきで読み解く

「浅野文庫諸国古城之図」真田丸図面
「浅野文庫諸国古城之図」真田丸図面
「新板大坂の圖」
「新板大坂の圖」

現在の地図
現在の地図

 

真田山の丘陵に真田丸があったことを前提に、「諸国古城之図」を見ると、寺が3つ並んでいる()。

 

江戸時代初期の地図(「新板大坂之圖」1657年)と照らしあわせると心眼寺・興徳寺・大寺と続く寺院群()だと考えられる。それら寺院群は今もそのままある()。

 

西側にも3つ寺院が並んでいる()。江戸時代の絵図()の正富寺・了雲寺・天立院か…。正富寺は今の成道寺()であろう。とすると、玉造本町から餌差町にかけて真田丸はつくられたことになる。

 

「諸国古城之図」に描かれた真田丸に入って行く道、これは心眼寺の前を通る道「心眼寺坂」と考えられる。その道を守るため、すぐ横に小さな曲輪が設けられ、本丸とのあいだは堀で切られていた。おそらく明星学園グラウンドの一角を含むその北側に小さな曲輪と堀がつくられたと思われる。

 

「真田丸」の東端は崖、とすると…真田丸の東端は三光神社

「諸国古城之図」真田丸の東端は崖である。その東端はどこにあたるのか。 現在の地図を片手に歩いてみよう。

 

(1)善福寺から、左手の道、心眼寺坂を上って行く。


(2)明星学園グラウンドの北東端。


(3)坂を少しあがり、グラウンドをアップで撮影。


「真田丸」は大阪明星学園の場所にあったのはほぼ間違いないということで2016年2月、同学園に「真田丸顕彰碑」が設置されました。詳細はこちら

(4)グラウンドのすぐ前、道路をはさんで建っているのが心眼寺。江戸時代に真田幸村・大助父子の菩提を祀るため建てられた寺である。

※2014年、信繁(幸村)のお墓を建立。詳細はこちら


(5)心眼寺の隣が興徳寺。

 


(6)その隣が大應寺。

 


(7)坂の名前を書いたプレート。


(8)心眼寺坂を南から見る。右の白壁が伝長寺。寺の並びは江戸時代の古地図どおりだ。


(9)伝長寺の前の坂を下って行くと真田山小学校。石垣の上に建っている、全国でも珍しい小学校。


10)小学校の角を曲がると、高低差がはっきりと。東側が低くなっている。


11)角を曲がってそのまま進むと、突き当りに階段が。


12)階段を上った左側が旧真田山陸軍墓地(明治の兵部省が設置した日本最初の陸軍のための埋葬地で、規模も全国各地の中でも最大)。

 


13)右側が宰相山公園。


14)階段下の道を角にそって進む。


15)階段を上がると三光神社。

 


16)階段横の駐車場を見れば、三光神社が高台に立っているのがわかる。三光神社を境に高低差がついている。


17)北側に回ってみる。神社北側の鳥居。高台にある三光神社へは階段を上って行く。


三光神社の前(北側)には宰相山西公園がある。三光神社と陸軍墓地は高台に建っていて、宰相山西公園で低くなっている。


 大阪高低差学会が発表している真田山近辺の高低差の図。黄色が高台、緑色の部分が低くなっている谷。これを見ても、三光神社の下から谷がはじまっている。

真田山近辺の高低差の図
真田山近辺の高低差の図

「諸国古城之図」では真田丸の東端は崖になっていて、谷が広がっており、それが砦の守りになっていた。私の考えでは、真田丸の東端は三光神社だと思う。

 

地元にも、真田丸は大きな砦だという伝承が残る

三光神社の東側の階段。写真の左端がその祠
三光神社の東側の階段。写真の左端がその祠

三光神社の東側、階段のそばに小さな祠がある。由来が書かれた「縁起」が掛けられている。以下、要約文。

 

『当地蔵尊は豊臣秀吉が朝鮮出兵する、はるか前から祀られており、「新家の北向地蔵」と呼ばれてきた。霊験あらかたで善男善女が引きもきらず参ったと伝えられている。

当時三光神社の高台は姫山、之より北台地を宰相山と呼び、真田幸村はこの両台地を地均して真田山と称し、大坂城外郭出丸となせり。

元和八年、大坂夏の陣において、当地一円は真田幸村の陣地となり、徳川・豊臣のしのぎを削る一大戦場と化し、当地蔵尊も戦火を蒙り、本堂焼失せり。後に本堂を再建し、昔と変わらぬ参詣人を見たり。

第二次世界大戦の戦災にあい、昭和20年、本堂を焼失。昭和23年に再建。』

 

 昭和23年に再建された折に、言い伝えられてきたいわれを後世に残しておくため、この縁起が書かれた。祠の伝承では、三光神社があった丘陵地を姫山、そこから北の丘陵地を宰相山、その2つを地ならしして、幸村が真田丸をつくったというのである。かなり大きな出丸だ。

 

同じような話を鎌八幡(かまはちまん)のご住職にも伺った。鎌八幡大菩薩を宿すエノキのご神木に、真田幸村は鎌を打ち込んで、真田丸での戦勝を祈願したといわれており、幸村とは縁ある場所だ。

 ご住職は「寺に残る言い伝えでは、真田丸で勝ったあと、幸村はお礼に鎌八幡の祠を新しくしました。真田丸は、西の端は当寺、東は三光神社、南は高津高校まで続く大きな砦であったといわれています」と話してくださった。(詳細は鎌八幡の記事

 真田丸が大きな砦だという伝承が地元にもあったのだ。

 ありえないといわれそうなのを覚悟で私が考える真田丸について説明すると、実に大きい。東端は今回探ったとおり三光神社、西端…、これが今のところよくわからないが、西端を鎌八幡とすると、南端は地形の高低差を考えると高津高校の南側。絵に書いてみると、鎌八幡のご住職が説明くださった真田丸の大きさとほぼ一致する。

下の「高低差図」を参考にして私が考えた真田丸。

赤で囲んだのが真田丸の範囲。太い赤線は真田丸に入ってくる道。

 



 

 ケンケンガクガクとそれぞれが説を唱えても、すべて推論にしかすぎない。千田先生の言われるとおり、発掘もしくはレーダー測量しない限り、真田丸の実態はいつまでもわからないままだ。真実を知りたい!と望む人たちが団結して、真田丸の調査を進めていきたいものである。

 

発掘したい 

 ●真田丸の小さい曲輪の堀は明星高校グラウンドの裏手に位置したのではないだろうか。路地が堀跡に見えてきた(笑)

●三光神社の北側に宰相山西公園がある。ここを調査すれば、真田丸の東端だと証明できるのではないだろうか。

●天王寺区空堀町にある空堀通は、大坂城南惣構堀であったと伝えられる。アスファルトであってもレーダー探査できるそうなので、堀であったかどうか、また堀幅がどれぐらいあったかを調べたい。

空堀通の銭湯「花見湯」が廃業し、その敷地が今、更地になっている。マンションが建つ前に発掘できればいいのに。

 

大坂城の堀だったと伝わる空堀通
大坂城の堀だったと伝わる空堀通
空堀通に更地が。ここを掘らせてちょうだい!
空堀通に更地が。ここを掘らせてちょうだい!

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真田丸跡を歩ける玉造地図完成

(以下、2016年10月8日記述)

 NHK大河ドラマ特別展「真田丸」を9月17日~11月6日開催している大阪歴史博物館では、真田丸の本体は大阪明星学園を中心とした一帯で、東の端は三光神社と推定している。

 大阪歴史博物館推定の真田丸地図が完成した。片面が「真田丸をめぐるモデルコース」地図。もう片面が「真田丸満喫! 玉造スタンプラリー」。真田丸散策と玉造のグルメと買い物が楽しめる。地図はダウンロード可。詳しくは「真田丸満喫!玉造スタンプラリー」参照を

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玉造の最寄駅

JR環状線「玉造駅」

大阪市天王寺区玉造元町1-40

地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造駅」

大阪市天王寺区玉造本町1-2

「真田丸」はここだ! 玉造地図

大阪歴史博物館が推定した真田丸跡をめぐりながらお店めぐりも。

愛用のカメラとICレコーダーです
愛用のカメラとICレコーダーです

玉造イチバンの管理人です。私は玉造で生まれ育ち、今も玉造に住んでいます。たくさんの方に玉造を知ってもらいたく、2013年2月にこのサイトを立ち上げました。玉造を盛り上げる情報を発信していきたいと思っています。