三光神社、「真田丸」放映でフィーバー

週末は全国からどっと 

 玉造にある三光神社は真田幸村の銅像と真田の抜け穴で有名。真田幸村ファンにとっては聖地ともいえる場所だ。

 大河ドラマが始まる前から、訪れる人が増えつつあったが、ドラマ「真田丸」の脚本・配役が評判を呼んでいることから、週末にはたくさんの人でにぎわう。

 2月21日の日曜、11時~13時まで境内に立って、参拝客の人数をカウントした。

 11時~13時の2時間で307名の参拝客があった。その後も続々と来ていることを考えると、この日だけで700名以上が三光神社を訪れたといえそうだ。境内では韓国語や中国語も聞かれ、四国や静岡からの遠方客もいた。全国的に注目されていることが実感できた。

 

行くのはいつがいい?

桜の名所、三光桜が咲く春に

 三光神社は桜の名所。桜に包まれた鳥居をくぐり、石段を上がると境内はあでやかな花模様だ。真田幸村の像も花吹雪の中。樹齢50年の三光桜が境内をうめつくす。

 宮司の小田禮五郎さんによれば、三光神社は昭和20年(1945)の大阪大空襲で全焼した。戦後、神社周辺の各町内が有志を募り「さくら愛護会」を結成し、境内に桜を植樹した。昭和57年(1982)には財団法人日本さくらの会から「さくら功労」の表彰を受けるなど、昭和の時代、三光神社の桜は名をとどろかせた。

「数にすると、そう多くはないが、境内には桜の木しか植えていないので、春は桜一色。地下鉄の車内ポスターで紹介されるなど、大阪有数の桜の名所として有名だった」と小田さん。 

 幸村の像がピンクに染まるのは春のこの時期だけだ。 

 4月第1日曜と第2日曜の間ぐらいが見ごろだったのが、どんどん開花が早くなっている。2015年は4月3日が満開であった。

参照記事 「三光神社と真田幸村」 「玉造のお花見スポット」

三光神社の宮司、小田禮五郎さん
三光神社の宮司、小田禮五郎さん

新緑、夏祭、秋の紅葉もおすすめ

 桜が散ったあとの新緑の時期は、境内はさわやか。

 7月は夏祭の季節。神輿が町内をめぐり、夜店が並び、昔ながらの風情が味わえる。また、桜の木が紅葉する秋もなかなか風情があっておすすめ。本殿にあがる石段の頭上には柿の実が。一句詠みたくなる風景が広がる。

 

最大のイベント「真田まつり」に

 しかし、なんといっても三光神社最大のイベントは「真田まつり」。真田幸村の勝利を讃えるお祭りだ。

 長野や和歌山など幸村ゆかりの地は全国各地にあるが、玉造がほかと違うのは、ここで幸村が勝利した、非常にめでたい場所だということ。

 豊臣と徳川の合戦「大坂の陣」では各地で小競り合いや戦闘が繰り広げられた。木津川口・鴫野・野田・福島・八尾・若江・道明寺…。しかし、大きな勝利を挙げたのは唯一、真田幸村が玉造に築いた「真田丸」での攻防戦のみだ。その勝ち運にあやかれるのが「真田まつり」である。

 「真田まつり」では1年に1度「真田の抜け穴」を開放する。

 大坂城と真田丸を結んでいたといわれる地下通路「真田の抜け穴」は、普段は鍵がかかっていて、鉄格子を通してしか見られないが、1年に1度この日に限り、抜け穴を直接見ることができる。このチャンスを逃してなるものかと、幸村を慕う人たちが遠方はるばるやって来る。

 当日は、拝殿で戦勝式典。そのあと、神主と参列者一同、「抜け穴」に場所を移し、抜け穴を清めたあと、鍵を開けて、一般公開する。

「三光神社の真田まつり」とは 

「真田まつり」当日のレポートはこちら

幸村像、その左に「真田の抜け穴」
幸村像、その左に「真田の抜け穴」
「抜け穴」は普段はこの状態
「抜け穴」は普段はこの状態

修祓の儀
修祓の儀
玉串奉奠
玉串奉奠

のぞきこむ人たち
のぞきこむ人たち
抜け穴の前に長い列が
抜け穴の前に長い列が

 

今年は11月6日(日)に開催

 

2016年2月23

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玉造の最寄駅

JR環状線「玉造駅」

大阪市天王寺区玉造元町1-40

地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造駅」

大阪市天王寺区玉造本町1-2

「真田丸」はここだ! 玉造地図

大阪歴史博物館が推定した真田丸跡をめぐりながらお店めぐりも。

愛用のカメラとICレコーダーです
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玉造イチバンの管理人です。私は玉造で生まれ育ち、今も玉造に住んでいます。たくさんの方に玉造を知ってもらいたく、2013年2月にこのサイトを立ち上げました。玉造を盛り上げる情報を発信していきたいと思っています。