紅に燃ゆる~真田幸村 紅蓮の奏乱

大丸心斎橋劇場で見てきました!

 2015年9月19日12時からの公演を見ました。宝塚歌劇は年に数回見ていますが、OSK日本歌劇団を見るのはこれがはじめて。宝塚歌劇団は昨年100周年を迎えましたが、OSK日本歌劇団は宝塚歌劇団、松竹歌劇団と並ぶ日本三大少女歌劇のひとつです。

 設立は大正11年(1922)、つまり90数年の歴史ある劇団。戦前戦中戦後、華々しい活動を繰り広げ、昭和40年代から平成14年まで、近鉄グループの傘下に入り、奈良あやめ池遊園地や近鉄小劇場などで公演。一旦解散するも同16年再結成。トップスター桜花昇ぼる(※平成26年退団)をはじめとする団員の活躍で息を吹き返しました。

 今回の大丸心斎橋劇場の公演は、宝塚歌劇団で言うと、若手だけの小編成で演じるバウホールの作品に匹敵。有望な若手を主役や準主役に据え、脇をベテランが支えます。幸村を演じる主役の悠浦あやとさんや、猿飛佐助役の城月(きづき)れいさん、雲隠才蔵役の楊琳(ヤンリン)さんらは二番手の、期待の星です。

 



 

幸村パネルがお出迎え

劇場内に迫力のプロモーションパネル



 

ドラマを盛り立てる秀逸のアイデア

日本一の兵、幸村を証明する

 

 関ヶ原の戦いのあと真田家は、徳川軍にくみした兄信之は安泰であったのに対して、豊臣方に味方した父昌幸と幸村は九度山で蟄居の身に。そこへ、未来が見えるという才蔵が現われます。死したあと幸村が「日本一の兵」といわれるのはなぜなのか、それを確かめるためにやって来て、幸村の傘下に加わります。

 やがて「大坂の陣」勃発。豊臣に迎えられた幸村は大坂城に入城すると、城内と城外を結ぶ抜け穴を、密かに才蔵につくらせます。

 そして真田丸の戦い。敵味方の激しい合戦。

 豊臣軍が優勢であったにもかかわらず、和議を結んだことで、不利な情勢に。名ばかりの和睦が破られ、いよいよ決戦の火ぶたが切られました。


 猿飛佐助は、幸村に助けられた六郎とその姉、姉のほうが男装して猿飛佐助として幸村を守っていました。そして、抜け穴は、豊臣秀頼の隠し子を城外へ脱出させるために幸村がつくったものでした。女に戻った佐助が信州上田の真田信之のもとへ秀頼の子どもを密かに送り届け、信之が自分の子どもとして育てるという、真田一族の計略が隠されていたのです。敵味方に分かれたはずの真田家でしたが、実は、協力して豊臣の血を守る約束を固めていたのでした。

 絶滅したと思っていた豊臣の血筋は、実は真田家が脈々と伝えていたというアイデア、なかなかおもしろい! 劇の最後にナレーションが。「後世、豊臣家が送った文書が信州真田家から何通も発見されました」と、まことしやかな語りで、幕を閉じます。

 

 なんと、団員17人で今公演を演じています。あるときは徳川軍に、次に出てくるときは真田軍に、場面によっては村人や町人になるなど、ひとりが何役も早変わりでこなしていたようです。それを感じさせないほど、できあがりが良かった! 個人的には、イチオシは楊琳さん。大胆にお客に切り込んでいく度胸と話術が秀逸でした。

 

 宝塚歌劇が大上段に構えた大げさな演技なのに対して、OSKは自然な演技で、笑いもふんだんにあり、客席とのやり取りは、ファンの方に叱られるかもしれませんが、大衆演劇の雰囲気。ほんわかしていて、スターさんが身近な存在。これは、宝塚にはない魅力です。

 それを象徴するのが、劇が終わったあと、東北の震災のための募金活動を兼ねた、出口でのハイタッチ。ファンの方々が親しげに団員の方々に声をかけていたのが印象的でした。

玉造の最寄駅

JR環状線「玉造駅」

大阪市天王寺区玉造元町1-40

地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造駅」

大阪市天王寺区玉造本町1-2

「真田丸」はここだ! 玉造地図

大阪歴史博物館が推定した真田丸跡をめぐりながらお店めぐりも。

愛用のカメラとICレコーダーです
愛用のカメラとICレコーダーです

玉造イチバンの管理人です。私は玉造で生まれ育ち、今も玉造に住んでいます。たくさんの方に玉造を知ってもらいたく、2013年2月にこのサイトを立ち上げました。玉造を盛り上げる情報を発信していきたいと思っています。