大阪歴史博物館の学芸員

大澤研一さんの現地調査に同行

大阪女学院に残る前田家関連の石

 いったいなぜここに「刻印石」が?

 

玉造にある大阪女学院は1884年(明治17年)に創立、130年の歴史あるミッションスクール。川口居留地(今の西区)で開校し、4年後の1888年、玉造の現在地に 移転してきた。実は、大阪女学院のキャンパスに、大坂城築城の際に運ばれた加賀前田家ゆかりの石が残されているという。大阪歴史博物館の学芸員である大澤研一さんによれば「学校という、自由に立ち入りできない場所のため、自分も写真でしか見たことがありません」。学校にお願いして現地調査を行った。

       

 

(左)大阪女学院正門  (上)白い建物が   ヴォーリズ設計のヘールチャペル

 


校内では120種以上もの木々がそよぐ
校内では120種以上もの木々がそよぐ

  大澤さんと、玉造の歴史案内人・東野雅樹さん、それに玉造イチバン管理人の私の3人614日金曜午後、大阪女学院に伺いました。

 待っていてくださったのは、学院教育研究センター所長の好田豊作(こうだとよさく)さん。大阪女学院中学校・高等学校で37年間国語を教えていらっしゃる大ベテランの先生です。そして同センターのマドンナ土屋あゆみさんと、法人事務部の事務次長・葛西(かっさい)隆司さん、施設管理課長の広瀬幸一さんら4人の皆さん。

 

戦後復興時の造園に「刻印石」が使われていた

 好田先生のお話によれば、19456月の大阪大空襲で学校は壊滅的な被害を受け校舎は焼失、ほぼ焼け野原となりました。戦後復興のときに、周辺から土地を新たに買い増して、現在の1万2千坪に校地を拡張。新しく校舎を建てるかたわら、敷地にあった数々の石を造園に使ったと見られます。学校側が、その中に「刻印石」があると知ったのはかなり後になってからのよう。

 好田先生は「刻印石が学院内にあることの意味をどう考えればいいのか、それを教えていただける、いい機会をいただきました」と歓迎の言葉で迎えてくださいました。

ヘールチャペル前の「刻印石」  (画像はクリックで拡大)
ヘールチャペル前の「刻印石」  (画像はクリックで拡大)

刻印石はもう1つあった! 

意外な展開に興奮が

 その刻印石ですが、研究者のあいだで知られているのは大阪女学院へールチャペル前の植え込みにある石。刻印は肉眼ではっきりと見て取れます。

 この刻印石は大阪城刻印石研究の第一人者、故・藤井重夫氏によって、前田家が調達したものとみなされています。

 この日、大澤さんを驚かせたのは「もう1つ刻印石があるんです」のその言葉。正門を入って左、クスノキの根元に、刻印がちょっと薄れて見にくくなってはいますが、間違いなく、チャペル前と同じ刻印が刻まれています。大澤さんの見立てによれば、石は六甲で取れた御影石だそう。

クスノキの下の「刻印石」を計測する大澤さん
クスノキの下の「刻印石」を計測する大澤さん

 

「3つ目があるかも」、全員で石から石へ

 校内には大きな石や立派な石がたくさんあります。好田先生や歴史好きの広瀬さんは「この2つ以外にも刻印石がありそうな気がします。石をひっくり返すと刻印が出てくる、そんな可能性も充分考えられそうです(笑)」

 それからの約1時間、どこかに3つ目がないかと全員で石から石へと見て歩きました。「こんなふうに校内の石を見たのは初めて」と学校側の皆さんに笑みが広がりました。

校内には大きな石がたくさんあります
校内には大きな石がたくさんあります
大澤さんが持参した古地図に釘付け
大澤さんが持参した古地図に釘付け
出ておいで3つ目! 探索中です
出ておいで3つ目! 探索中です

 

刻印石」は徳川幕府の命で運ばれた大坂城再建のための石

  さて、今回の現地調査からわかったことを大澤さんにまとめていただきました。

 豊臣秀吉時代の大坂城は天正年間に建てられ、大坂夏の陣で焼失。その後、徳川幕府によって再建されます(現在の大阪城)。諸大名は幕府の命を受け、大坂城築城のための石を、遠くは九州、近くは六甲など、あちらこちらから集めてきます。運搬途中に設けた石置き場に仮置きしながら、最終的には、各自が用意した、大坂城近くの石置き場へ運び込み保管します。

 石には文字やマークが刻まれているものがあります。刻印は石を切り出す際や石垣を積み上げる際の担当者(大名)をはっきりさせるための目印として刻まれました。

 なお、大坂城のために運ばれた石がすべて石垣などに利用されたわけではありません。余った石も相当あったようで、通常それらの石は各大名が用意した玉造付近の土地で保管され、のちのち幕府関係の建造物に利用されましたが、途中で処分されたり、埋もれてしまったものもかなりあったようです。

 

玉造にあった前田家の石置き場はここか!?

 加賀前田家は玉造に石の保管場所を持っていました。前田家と大坂の豪商・安井家とは親しい間柄にあり、両者が交わした書簡によって、安井家が持っていた玉造の土地を、前田家が石置き場にしていたことがわかっています。しかし、安井家が玉造のどのあたりに土地を持っていたのか、はっきりしたことはわかっていません。

 今回、大阪女学院の中から、前田家の刻印石と推定される石が2個出てきたことは「偶然ではありえないこと」。安井家が玉造に持っていた土地、つまり前田家の石置き場は大阪女学院を中心としたエリアにあった可能性が出てきました。

 「やっぱり現地調査に優るものはないですね」と大澤さん。謎を解き明かす手がかりを今回得ました。

 

「刻印石」は豊臣時代の証拠にはならない

 ところで、徳川時代の前段階、豊臣時代に玉造には戦国大名・前田利家の屋敷がありました。利家はその屋敷で病死しています。前田屋敷があった場所は大阪女学院のあたりでは…と言われていますが、確たる証拠は出ていません。今回調べた「刻印石」は徳川時代のものであるため、残念ですが、豊臣時代に遡っての手がかりにはなりえないということです。

(関連記事 「豊臣時代の玉造」

緑豊かな玉造の別天地

大阪女学院に感動!

 もうひとつ今回発見がありました。玉造に長年住んでいながらも、大阪女学院に入ったのはこれが初めて。

 豊かな木々の緑で校舎が彩られ、野鳥がさえずり、流れる風がさわやか。会釈で挨拶してくれる学生さんの規律正しさとキャンパス内の清潔な雰囲気。玉造にこんな場所があったとは、感動の別天地!です。このすばらしい環境を地元にも共有させていただけたらなぁ…、そんな思いがこみあげた現地調査でした。

 

大阪女学院は景観と建築で

数々の賞を受賞

まさに「緑の森の学校」、野鳥が憩う楽園です
まさに「緑の森の学校」、野鳥が憩う楽園です

1992年大阪府から「緑の景観賞」、2004年には優秀な建築に与えられる「BELCA賞」、2007年「大阪都市景観建築賞(まちなみ賞)・特別賞」を受賞しています。

 


 

 

大阪女学院の皆さんは

親切で好感度バツグン!

大澤さん東野さんも口々に

「すごく充実していました」と大満足。

 


2013年614日取材
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大阪女学院

(関連記事「日めくりカレンダー」)

http://www.osaka-jogakuin.ed.jp/

http://www.wilmina.ac.jp/ojc/

(キリスト教に基づく私立の女子校。

中学校・高等学校・短期大学・大学を併設)

大阪市中央区玉造2丁目26-54

Tel 06-6761-4013

JR「玉造駅」から徒歩約10分

地下鉄「玉造駅」1号出口、

西へ300メートル

 


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「真田丸」はここだ! 玉造地図

大阪歴史博物館が推定した真田丸跡をめぐりながらお店めぐりも。

愛用のカメラとICレコーダーです
愛用のカメラとICレコーダーです

玉造イチバンの管理人です。私は玉造で生まれ育ち、今も玉造に住んでいます。たくさんの方に玉造を知ってもらいたく、2013年2月にこのサイトを立ち上げました。玉造を盛り上げる情報を発信していきたいと思っています。