夏休み期間に一般公開

「森の宮遺跡」展示室

 埋葬された縄文人をそのまま展示

地層に残る暮らしの跡

 

はるか昔の縄文時代や弥生時代は歴史の中に存在するもの。そんな思いを吹っ飛ばしてくれたのが「森の宮遺跡」。森ノ宮の地に4000年前2000年前、縄文人や弥生人が暮らしていたというのだ。「森の宮遺跡」展示室には、はるか昔の人たちが食べていたものや暮らしで使っていたもの、それに縄文人の人骨1体が展示されている。

 

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縄文時代の土器
縄文時代の土器
縄文時代のイヤリング
縄文時代のイヤリング
森の宮遺跡 弥生時代の土器
弥生時代の土器

 玉造を応援する情報サイトなのになぜ森ノ宮? 「森の宮遺跡」のあるあたりは江戸時代、大坂城玉造口の与力・同心の屋敷が並んでいた。この一帯も昔は玉造とみなされていた。そこで今回、管理人の独断により紹介することにした。

 

 さて「森の宮遺跡」展示室だが、森ノ宮ピロティホールの地下にある。一般公開されるのは1年に5日間だけ。今年は第1弾として夏休み期間の8202122日の3日間、午後1時から4時まで公開された。

 展示室は20人も入れば満杯という狭いスペース。駆け足で見れば10分ぐらいで見終わってしまうだろう。しかし、学芸員さんの説明を聞けば、この展示室がいかに貴重か、はっきりとわかる。

 

 22日午後は大阪市教育委員会の学芸員、櫻井久之さんが参加者の質問に答えたり、展示室の説明をしたり、案内役を務めていた。

 

 ピロティホールが建つ前、ここには大阪市立労働会館があった。すでに地下には貴重な遺跡があることがわかっていたそうだ。建て替えてホールを造るときに4回にわたって遺跡調査が行われた。

 そのときに、遺跡はできる限りそのまま残すこと。そして、発掘で出てきたものを、発掘現場の近い場所で見てもらえるように展示室を作ることが決まったという。

 ホールを造るにあたって、遺跡を損なわないように、地面に杭(くい)を打ち、梁をわたし、屋根をかけた。ホールの名前のピロティはフランス語の建築用語で「杭」という意味。遺跡を守るという強い思いがこめられた名前である。

 展示室は34年前にできた。その地下には発掘された遺跡600平方メートルがそのまま残されている。

 
ピロティホール
ピロティホール
ホールの地下に展示室がある
ホールの地下に展示室がある
展示室入口の表示
展示室入口の表示

 

笑ったり感心したり

大人も子どもも楽しめる解説

 「森の宮遺跡」は「森の宮貝塚」とも呼ばれる。貝塚はいわば生ゴミの捨て場だ。

 縄文時代の貝塚からはマガキやクロダイ、フグなどの海で獲れる貝や魚、またイノシシや鹿、ウサギなどの骨が見つかっている。

 「川も海もない森ノ宮でいったいなぜクロダイなんかを食べていたのでしょうか?」と櫻井さんから質問が飛んできた。

 実は、縄文時代、森ノ宮の東には河内湾という内海が広がり、西には、南北に長い丘陵地・上町台地の広大な森が広がっていた。海あり森ありで、暮らすには最適な土地柄であったという。

 「皆さん、ぼーっと聞いていませんか、縄文人がフグを食べていたんですよ。料理法を知っていたんでしょうか」。櫻井さんの突っ込みに笑いがこぼれた。

 

縄文クイズもあり!

子どもたちにも人気

 「発掘でこんな骨もでてきました。

これは、縄文人が食べていた魚の骨ですが、

これはいったいなんという魚でしょうか?

ワニ? いえいえ、違います」

 

 
すごい歯! 「何だろう?」と参加者全員、首をひねりました
すごい歯! 「何だろう?」と参加者全員、首をひねりました

答えは「ウシサワラ」。

体長2.5メートルもある巨大な魚。

今も太平洋に住んでいる魚だそう。

 

  

 

 

 「大阪市民第1号」は森の宮遺跡の縄文人

 

 展示室の一番の見どころは、縄文人の人骨だ。複製と思って眺めていたら「コレ、本物ですよ」の櫻井さんの声に飛びあがった。 

 

 「森の宮遺跡」から発掘された人骨は18体。そのうちの1体が、発掘した地層ごとガラスケースに納められている。身体を折り曲げた姿は、当時の埋葬方式「屈葬」である。

 

 「生ゴミ捨て場の貝塚に人間を葬るというのは、今の私たちには理解できませんよね。実は、北海道のアイヌも貝塚に埋葬しています。貝塚は、使ったもの食べたものを蘇らせるための儀式の場であったようです。亡くなった人の再生を祈って貝塚に葬ったと考えられます」。

 櫻井さんの説明にうなずいていると、参加者のひとりからこんな声が。

「死んでからも、食べ物に困らんようにと貝塚に葬ったんとちゃいますか」

なるほど!

「いいね!」に1票!

 

 人骨は30代女性、身長約148センチ。

身長も寿命も、縄文人の平均像にぴったり重なる。

ケースの中は…。ぜひ自分の目で確かめて!

  

 弥生時代になると、クロダイやスズキ、ハモのほか、淡水で生育するセタシジミなどが貝塚から見つかっている。内海の河内湾が土砂によって埋め立てられ河内潟(がた)に、やがて河内湖へと進んでいく変遷が貝塚の発掘から確かめることができる。

  「色々なものが出てきていますが、住居の跡がまだ見つかっていません」と櫻井さん。どこでどんな住まいをしていたのか、今も謎だそうだ。

 

縄文時代から江戸時代まで

森ノ宮の5千年の変遷がたどれる

 

  「森の宮遺跡」は縄文時代の地層の上に弥生時代が、そのうえには古墳時代、難波の宮の時代、さらに中世から豊臣時代の地層まで連続する複合遺跡。森ノ宮のこの場所で5000年以上にわたって人々が暮らし続けていたのだ。時代の移り変わりがたどれる点でも「森の宮遺跡」は貴重な遺跡群だ。展示室には奈良時代や室町時代の瓦、江戸時代の鏡など、時代ごとに区分けし、出土物が並べられている。

 

 櫻井さんによれば、収納庫には発掘したものが山ほど眠っているという。おもしろそうなものを探し出し、新たに展示を追加している。

 左の写真2つが最近加わった。ヒスイ製の勾玉(まがたま)と、人面を思わせる土器の突起。珍しい!ことから選ばれた縄文時代の遺物だ。                                                                       

来たれ、こどもたち! ここに歴史の実物がある!

 

 小学校6年の社会の教科書には縄文時代・弥生時代の代表として青森の三内(さんない)丸山遺跡や静岡の登呂(とろ)遺跡、佐賀の吉野ケ里(よしのがり)遺跡などが出てくる。しかし、身近の森ノ宮にも縄文人や弥生人が住んでいたことを子どもたちには知っておいてもらいたい。

 私自身、今回の見学で「森ノ宮や玉造は4千年の昔から、ええ場所やったんや。自分はええとこに住んでる!」と地元愛がますます高まった。子どもさんにも大人の方々にも見学をおすすめしたい。

 

 

一般公開は学芸員さんの説明付き 

5名集まれば、臨時公開OK

 

 「森の宮遺跡」の一般公開は1年に5日間だけ。公開日は大阪市の広報紙やイベント情報「いちょうネット」「いちょう並木」で告知される。事前申し込み不要。見学無料。

 8月末の豪雨で展示室の床が浸水したため、夏休み以降の一般公開日は今のところ未定だそう。

 

 5名以上で申し込めば、学芸員さんの説明付きで臨時公開してくれる。申し込みは2週間前までに大阪市教育委員会へ。ピロティホールの使用状況によって、希望の日時が通らないこともある。見学無料。

追加記事 床材の反りあがりが治まったため2013年11月末から臨時公開受付中

 

 展示室の見学者は一般公開・臨時公開を合わせて年間平均200名ほど。ほとんどが大阪市・大阪府からの来訪者のようだ。

 

2013年8月22日取材)

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「森の宮遺跡」展示室

 大阪市中央区森ノ宮中央1丁目175 

森ノ宮ピロティホール地下

JR森ノ宮駅から西へ徒歩3分、

地下鉄森ノ宮駅2号出口から徒歩1分。

普段は鍵がかかっていて見学不可。

申し込み・問い合わせ 

大阪市教育委員会事務局生涯学習部文化財保護担当へ。

Tel 06‐6208‐9166


玉造の最寄駅

JR環状線「玉造駅」

大阪市天王寺区玉造元町1-40

地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造駅」

大阪市天王寺区玉造本町1-2

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愛用のカメラとICレコーダーです
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玉造イチバンの管理人です。私は玉造で生まれ育ち、今も玉造に住んでいます。たくさんの方に玉造を知ってもらいたく、2013年2月にこのサイトを立ち上げました。玉造を盛り上げる情報を発信していきたいと思っています。