東野雅樹(ひがしの まさき)さん

小学生のときから玉造で暮らす。趣味は奈良・飛鳥の歴史散策と山歩き。学生時代に発掘調査に参加して以来、古代史に惚れこみ、その情熱は変わらず続いている。月に1~2回は金剛山や生駒山へひとりで歩きに出かける。平成22年「中央区まちのすぐれもん」に登録され、玉造・森ノ宮のボランティアガイドを務める。玉造の案内は新たに加わった趣味だという。

「わがまちガイドナビ」第4号
「わがまちガイドナビ」第4号
東野さんの調査ノート
東野さんの調査ノート

「えらいこっちゃぁ! 玉造の案内地図を作るって!」

 東野雅樹さんは「中央区まちのすぐれもん」に選ばれている玉造・森ノ宮の歴史案内人。「わがまちガイドナビ」森ノ宮・玉造の案内地図は東野さんらが中心になって作ったものだ。最近では、大阪市の古い史跡を訪ね歩く「なにわの宮リレーウオーク」のサポーターとして、行く先々で案内の手伝いをするなど、エネルギッシュに活動する。

 しかし、ご本人に言わせると、頼まれたら断れないため、「しゃぁない」と渋々引き受けるうちに巻き込まれ、どんどん広がっていったのだそう。

 ことの始まりは4年前の平成21年春。当時の玉造連合会長に「玉造からひとり出してと言われてるんや。東野さん、ちょっと行ってきてくれへんか」と頼まれた。 

 何をするかもわからないまま、足取り重く出向いた先は「中央区未来わがまちフォーラム」。魅力ある町づくりのため、各地区の代表者が集まって活動している団体だ。ちょうど、町の案内地図「わがまちガイドナビ」を順次作っていたところであった。 参加するなり東野さんは、居合わせたメンバーに激励された。「次は玉造さんの番。がんばってください」。まさに青天のへきれき。 「玉造には55年住んでいましたが、町の歴史についての知識はゼロ。『えらいこっちゃぁ!!』、本当、もうびっくり仰天でした」

 

ナ、ナ、ナント、玉造町内に千利休の屋敷があった!

 それからは無我夢中の毎日。ネットで検索したり、図書館で古文書や古地図を調べたり…。助けになったのが、子ども時分の体験。毎日、町を縦横無尽に駆けめぐり遊びまわった。記憶をたどれば、細い路地の裏の裏までよみがえる。

 地元を知り尽くしているという強みに、歴史好きの探求心が加わり、玉造と森ノ宮の歴史を調べに調べた。知らないことが次々とわかる面白さに、いつの間にかのめりこんでいった。     

「江戸時代後期に作られた観光案内書『摂津名所図会大成(せっつめいしょずえたいせい)』を見ていたら、いま住んでいる玉造2丁目の町内にかつて千利休の屋敷があったと記されているんです。ええっ!て感じで驚きました。場所でいうと、玉造公園の東側。ローソンや喫茶店アメリカンが並ぶあたりだと思われます」(写真・左上)

 思いがけない驚きはほかにもあった。子どものころ、玉造小学校校下にあった22町()のほとんどが、豊臣時代からつながる、歴史ある町名であったとわかったのだ。(関連記事 豊臣時代、玉造は大坂城の三の丸

 「越中町は細川越中守忠興(えっちゅうのかみただおき)の屋敷があったところ。仁右衛門町は増田仁右衛門長盛(ましたにえもんながもり)、紀伊国町(きのくにちょう)は浅野紀伊守幸長(あさのきいのかみよしなが)といった具合に、それぞれ由緒ある名前だったんです。それが昭和54年の住居表示変更で、22の町名がほとんど消えてしまいました」。

 時代が変わり、仕方がなかったと思う反面、「あぁ、もったいないことをした…」と悲しみがあふれたという。

 悲喜こもごも調べあげた内容を基に、1年後「「わがまちガイドナビ」第4号となる“大阪城南の地、森ノ宮・玉造”ができあがった。並々ならぬ努力を注ぎ、調べあげた結晶だ。

 

「わがまちガイドナビ」を開くと…
「わがまちガイドナビ」を開くと…
裏面の地図には地元の情報が満載
裏面の地図には地元の情報が満載

「まちのすぐれもん」が案内する 玉造の〝歴史遺産〟

 地図作りに関わったことから、大阪市中央区が企画する「中央区まちのすぐれもん」第一期メンバーに任命された。いまは玉造・森ノ宮のボランティアガイドとして、町を案内しながら地元の歴史や伝承などを伝えている。

 「案内した皆さんが『わぁ!』『へぇ!』と驚いたり感心したりしてくださる、その反応がうれしいですね」

 「ガイドする中で、一番人気なのが豊臣時代の大名、細川忠興の屋敷があった場所、越中井えっちゅういど)。忠興の奥さんガラシャさんが敵に囲まれ最期を迎えた悲劇の地です。それと並ぶ玉造の名所が三光(さんこう)神社にある真田(さなだ)の抜け穴。真田幸村が造った、大阪城まで続く秘密の抜け穴と伝えられています。それに、天王寺区にある空堀町(からほりちょう)のいわれや、玉造交差点のあたりに豊臣時代の大坂城玉造門(黒門)があったという話にも声をあげて驚かれます」(関連記事 細川ガラシャ祈念ミサ 三光神社と真田幸村

「越中井」
「越中井」
三光神社にある「真田の抜け穴」
三光神社にある「真田の抜け穴」

 玉造の歴史を語りだすと止まらない東野さんだが、もともとはおとなしい性格で、目立つのが嫌いなタイプ。しかし、責任感が強いゆえに頼りにされ、次々頼みごとが舞い込むようだ。

 「振り返ると、4年前、もし自分に声がかからなかったら、玉造への思いは今のように深まることはなかったでしょう。自分の体験から言えることですが、いつもの道や近所の神社も、いわれを知って見直せば、全然違って見えるものです」。ぜひとも、新たな目で玉造や森ノ宮を歩き直してほしいと語る。

 

 2013331日取材

 Copyright(C)2013 copyrights.tama-tsukuri.info/AllRights Reserved 

 

 「中央区わがまちガイドナビ」の入手方法

大阪市中央区役所1階で入手できます。

問い合わせは大阪市中央区役所・市民協働課☎06‐6267‐9832。

 

玉造小学校校下の消えてしまった22町とは

寺山町・紀伊国町・清水谷東之町・東雲町・空堀通り・仁右衛門町・岡山町・玉造町・東阪町・山之下町・黒門町・川西町・宮林町・玉堀町・北国分町・八尾町・森之宮西之町・森之宮東之町・元伊勢町・半入町・左官町・越中町

 

東野さんのお気に入りの玉造

●一番好きな場所…「越中井」▼心を静めてくれる「聖マリア大聖堂」▼昔 遊び場だった「松の木大明神」 お客さんが来たら…KKRの12日本料理・フレンチ「レストランシャトー」(大阪城がよく見え絶景)

玉造の最寄駅

JR環状線「玉造駅」

大阪市天王寺区玉造元町1-40

地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造駅」

大阪市天王寺区玉造本町1-2

「真田丸」はここだ! 玉造地図

大阪歴史博物館が推定した真田丸跡をめぐりながらお店めぐりも。

愛用のカメラとICレコーダーです
愛用のカメラとICレコーダーです

玉造イチバンの管理人です。私は玉造で生まれ育ち、今も玉造に住んでいます。たくさんの方に玉造を知ってもらいたく、2013年2月にこのサイトを立ち上げました。玉造を盛り上げる情報を発信していきたいと思っています。