玉造に残る史跡「越中井」

越中井の由来

ガラシャ最期の地

 玉造をボランティガイドする東野雅樹さんによれば、案内する中で一番人気なのが越中井えっちゅういど)

 住所でいうと中央区玉造2丁目23~24番地から森ノ宮中央2丁目4~12番地あたりに、豊臣時代の大名、細川越中守忠興(ほそかわえっちゅうのかみただおき)の屋敷がありました。越中井は細川家の台所跡に残る井戸だといわれています。

 忠興の妻ガラシャは石田三成の軍勢に囲まれ、玉造のこの屋敷で最期を迎えました。井戸は悲劇のシンボルになっています。

 

 

地元の呼び名は「えっちゅういど」!

 地元の呼び名は「えっちゅういど」!

 石碑に「越中井」と記されているため、「えっちゅうい」と呼ばれていますが、江戸時代の 「摂津名所図会」には「越中井戸」と書かれていますし、地元でも先祖代々『えっちゅういど』と呼び、大事に守ってきました。

 この碑は昭和9年に建てられ、徳富蘇峰(とくとみそほう)が揮毫しています。歴史学者が文語調で書いたために、 地元の呼び名との行き違いが起きたと思われます。

 

ガラシャが命を絶った経緯
ガラシャが命を絶った経緯
石碑の正面
石碑の正面
ガラシャの辞世の句が右横に
ガラシャの辞世の句が右横に

石碑の後ろにある説明板が作り替えられました。英文もまじえ、写真も加えられました。マスコミでガラシャを取り上げられることが増え、訪れる人も増えているからでしょう。(2015年7月1日)

旧町名は越中町。いわれのある名前でした
旧町名は越中町。いわれのある名前でした

玉造の最寄駅

JR環状線「玉造駅」

大阪市天王寺区玉造元町1-40

地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造駅」

大阪市天王寺区玉造本町1-2

「真田丸」はここだ! 玉造地図

大阪歴史博物館が推定した真田丸跡をめぐりながらお店めぐりも。

愛用のカメラとICレコーダーです
愛用のカメラとICレコーダーです

玉造イチバンの管理人です。私は玉造で生まれ育ち、今も玉造に住んでいます。たくさんの方に玉造を知ってもらいたく、2013年2月にこのサイトを立ち上げました。玉造を盛り上げる情報を発信していきたいと思っています。